どうしたいか

すべての人にフラットでいたい。

それは、誰に対しても同じ対応をするってことじゃない。誰のことも「ただの人間」として見るということだ。

年齢や性別や肩書きやスペック(本当に気持ち悪い言葉だ 機械用の言葉を人間に当てはめるな)を、できる限り無視したい。

ただの人間として見たときに、魅力的な人のことをちゃんと好きになって、そうじゃない人のことは容赦なく嫌いになりたい。

利害関係や常識や、所属欲や同調圧力、性欲や寂しさに惑わされたくない。

その先に、本物の人間関係みたいなものがあるって信じたいんだと思う。

もしかしたらそんなもの、最初から存在しないのかもしれない。「若いねえ」なんて言われるのかもしれない。でも「清濁併せ呑め。それが人生だ」みたいなことを言ってくる爺婆のようになりたいとも思わないから、別にいいのだ。

 

私たちの世代、特に自分のように地元を離れてしまった人間は、もう親世代と同じようには生きられない。

安心安全の型化された幸せを手に入れるための「正解」ルートは、少なくとも私にとっては、もう途絶えているように見える。

だから自分で答えを探すしかない。不安だし、大変だし、面倒くさいけど。

 

ゴールに辿り着けなくても最悪OKで、大切なのは道中を楽しむ工夫をすることだと思う。

旅行は行きの移動中がいちばん楽しい派だから、そういう生き方はたぶん合っているんだろう。一生折り返し地点なんか迎えずに、行きの移動をし続けて死ねたら、私は幸せなのかもしれない。