性格の悪さを受け入れろ

同僚が会社を辞める。

特になにも思わなかった、ような気がした。でも、違う。正しい感情にならなかったのだ。

この場合の正しい感情とは「本人が決めたことなら応援する。またいつか、どこかで一緒に仕事ができたらいいね!お互い頑張ろう!」である。同僚が転職するときは、この感情になるのが適切とされている。お互いに気持ちよく、自分にとっての不利益を減らし、将来の利益に繋がる行動。わたしはそれを知っている。

「自分は人に興味がないのかもしれない」という、中二病じみた自己分析をわたしはいまだに抱えている。誰にでも無関心なわけではなく、おもしろい人や変な人、感情や思考がユニークだったり、正直な人には興味を持てる。でもそれって、人に興味があるんじゃなくて、その人の発する事象に興味があるだけっぽくない? いい人だけど、すべてが薄っぺらく感じてしまうような人には、興味を持てない。それって、人そのものには興味がないってことでしょう……なんて思っている。

でも、同僚の転職に、感情が動かなかったわけじゃない。がっかりしたような、悲しいような、後ろめたいような、腹が立つような、気持ちになった。だけど、それは正しい感情じゃないから、思っていないことにした。

これって人に興味がないんじゃなくて、シンプルに性格が悪いだけなんじゃないか?

もっといえば、自分の性格の悪さを直視できないから、人に興味がないことにして逃げているんじゃないか。

わたしはたぶん人よりも"頭がいい"のだと思う。自分の得意なことを理解していて、それをいろんなことに応用できる。本当に苦手なことには深入りしない。損切りが早い。自分にアドバンテージがある環境かどうか、その見極めを無意識のうちに、かなりドライにやっている。

だから資本主義を乗りこなすのはわりと得意なほうなんだけど、いかんせん可愛げがない。令和ロマンのくるまさんに対して永野が言っていた「頭もいいし言っていることは正しいよ、でも愛嬌がない!」という言葉は自分にも刺さった。

本当に気が合う友達のことは損得抜きに「大好き!」って思えているはずなんだけど(そうであってくれ)、別に気が合うわけでもないなーって人のことはマジで、自分にとってメリットがあるかどうかで見てしまう。

この人は話してて発見があったり、得るものがあるから楽しい。この人は、最初は自分と違うところが多くておもしろかったけど、最近はずっと同じようなことしか言わないし、別に共感もできないからつまんない。もう話さなくていいかも……。

みたいな感じ。

みんなは違うのかな。。

こんなんなので、コミュニティに対する愛着をなかなか持てない。

コミュニティ内で会話をするとき、多くの人は「そのコミュニティを成り立たせること」を重視しているようにみえる。集団の中での役割を引き受け、「こういうときはこう言ってOK」と社会的に認められた、安心安全な台詞を発しあっている。会話の内容自体にはそんなに意味がなくて「みんなと楽しく過ごしている空間」が持続することがいちばん大切。そんな共通認識があるようにみえる。

私は、そういうふうに振る舞うことができない。話がおもしろくなかったら、おもしろくないって思う。できる限りおもしろくなるよう努力はするけど、疲れるし、それでその場がおもしろくなったとしても、そこにいた人のことを好きにはならない。

はー、がんばったな、みんな楽しかったのかな、わたしちゃんとできてたかな。脳みそは疲れているのに、身体はアルコールで妙に覚醒していたりすると本当につらい。早く寝て今日を終わらせたいのに……。

 

被害者面をしているが、どう考えても「おもしろいかどうか」で人を判断している自分が悪い。わたしは性格が悪い。それはもうきっとどうしようもない。ただ、性格が悪くても善人にはなれる。思想と行動は別だから。自分のなかの悪い感情を受け止めて、直視して、理解したうえで適切に対処する。その積み重ねをやっていく。それはメリットとかデメリットとか以前に、他人に優しくできたほうが「なんか気持ちいい」からだ。なんか気持ちいいほうに進んでいく。嘘の優しさじゃなく、意思で優しくする。

辞める同僚に元気がないことは、実は少し前から気づいていた。だから励まそうと思って飲み会の約束をしていた。そして開催の直前に退職の話をきいた。「あなたはこの会社でまだまだやれるよ!」と言おうとしてたのに、辞めるんだったらいったい何を話せばいいんだ。バラそうかとも思ったけど言い出せず当日を迎えた。

気まずくなるかと思われた飲み会は、なんだかんだいい雰囲気で終わることができた(たぶん)。飲み会の前にこの文章を途中まで書いて、自分の感情に向き合っていたことが功を奏したような気がする。嘘をついてまで正しく振るまって消耗しなくても大丈夫だった。意思をもって選んだ言葉と行動で、世界に接する自分のすがたをなるべくいいものにしていきたい。