私はコミュニケーションがあまり得意ではない。見た目が優しそうなのと、愛想がいいのでなんとなく"うまくやっている"ように見えるんだけど、実はぜんぜん友達がいない。
人の気持ちを推しはかるのも苦手だ。これもたぶん、周りの人からは、なんとなく"わかってる"ように見えているんだと思う。
コミュニケーションが苦手だから、話し上手な人や立ち回りがうまい人の言葉や話しかたを見て覚えて、コピーしてきた。
人の気持ちがわからないから、自分の経験や友達どうしのもめごとや愚痴から「感情のパターン」をたくさん集めて、「こういうときはたいていこうだ」の精度を高めてきた。
コピーしていたのがいつの間にか自分の話し方かのように思えてきて、
パターンしか見ていないはずがいつの間にか相手の心を直接見たかのように錯覚して、
単純化して、社会に順応したふりをして、楽になろうとしていたんじゃないか? 最近。
だから何もかもうまくいかないんじゃないか?
私は人間関係を数式で考えている。ギブアンドテイクの足し算と引き算がちょうどゼロになるようバランスをとっている。そうでないと不安になる。たぶん何か根本的に間違っている。
"こなれて"いなかったころはどうしていただろう? もうきちんと思い出すことはできないけど、いろんなことにすぐに傷ついていて苦しかった。多くの他人に対して強く感情を持っていた。
それは必要な苦しみだったのかもしれない? どうなんだろう?
必要なのは苦しくないようにすることじゃなく、苦しみをそのまま受け止め続けられる強靭な器を育てることだったのかもしれない? もっと感情のままに行動していいのかもしれない。ダサくても正しくなくても魅力的ってことは確かにある
誰かに正解を教えてほしい。できればライフコーチやカウンセラーやセラピストではない誰かに、、いや、自分で考えるしかないってわかってるんですけどね。またパターンを集める旅に出るか。とりあえず次に感情がわきあがったら、その熱の向かうままに暴走してみよう。